人でいることはむずか恣意現実!

教室関連!人でいることはむずかしい現実!

教室関連!人でいることは難しい現実!

私達人間は生まれてからすぐに環境に対する適応が始まりますそして自我ー意識機能が確立していき心が活動していきます。ところ私達の社会は非人間的な事件ばかり!戦争!いじめ!東大生の強姦、文科省の天下り、政治では総理も疑いの目を向けられ!おんぶ政治家!自己責任大臣、秘書に暴力議員これも東大卒!ハーバードまでいきながら!すべて精神的障害まで疑われてしまいます!人格「自己・主体」が現実の社会に適応していないということを精神科医でしたら疑うような事件ばかり。最低でも学歴知識では人格は作られないことがご理解いただけると思います。逆な言い方をすれば私達人間はいかに主体「人格・歴史」に支配されているかということが数々の事件が証明しています。

最近はやりの忖度に焦点を絞ると私達人間がいかにすごいか理解いただけると思います!つまり今はやりの忖度は猿の時代の毛づくろいをルーツにもちます、つまり自分よりも群れに奉仕している猿に対して敬意を表する礼儀の作法です、群れを出たはぐれ猿に対しては毛づくろいしないそうです。

東大まで行っておいてなぜ強姦事件を起こしてしまうのでしょうか!何故その優秀な頭脳を生かせないのでしょうか?今思春期、と受験が完全に同時期になってしまっています。つまり人間の遺伝的本能的精神構造である心的DNA「人格」発達の時期と、受験が完全に一緒になっています。東大に行くくらいですから優秀なわけですが!記憶を中心とする知識だけでは創造力という価値はに身に付かないのです!創造力とい価値は人格「主体」のないものには身につかないのです!つまり主体「自己」の発達は学問だけでは不可能なのです。遺伝的に私達は人間になるように主体「心」を中心にしたイメージ遺伝子をすべての人間が受け継いでいます。つまり男性には「群れ」を維持する集団的な心をスタート地点にもつわけです。もうお解りと思いますが人間も同じ動物なので群れに「集団に標準をおいているわけです」つまり精神本能はオッシャル「公的」な群れの心を「心の構造」!オスに先に発達させようとしているわけです、個人的な発達は最低でも20歳以降になります、反抗期があるのもうなずける話なのです。

つまり私達人間は普遍的無意識というイメージ遺伝子群が頭脳の中に埋め込まれて誕生します。心「自己」の機能システムが埋め込まれていると理解していただいたほうが良いと思います。人生の成長を司るシステムですつまりこのシステムに添わない人間が多くの事件を起こしています。東大卒の自己責任発言の大臣なにが育っていないのでしょう?価値観です、正義感とか倫理観男性に大切な社会を作る価値観がまるきり育たないのですすでに70歳近いのに!秘書に暴言をはいて自民党をやめたハーバードまで行った議員も同じです!つまり人間に必要な価値観が育たないのです。東大生の強姦事件も同じです!文科官僚の天下り事件、これも同じです行政に必要な倫理観、男性に必要な価値観がまるで50歳すぎても育たないのです。つまり心理的にはとても簡単で主体「自己・主観」が外向的な社会により人間的な生活ができないということです、たぶん中国も現在のような受験システムを推し進めれば人間がゆがめられていくと思います。虐め問題は精神的な発達障害とみなければいけません。つまり物と引きかえに人間的な成長がとまってしまったと考えるべきです、ブータンの人たちの意識が幸福感を抱けるというのはほとんどの日本人にはすでに理解できないことのように思います。

私達人間はこの自己の発達システムを思春期すぎ20歳ぐらいまでは自己という主体の方向へ導かれていきます、これは猿の時代から普遍的「コレククティブ・歴史的収集」に収集さ本能的遺伝子イメージ群です。あらゆる動物を動かす本能イメージです。つまり男性は倫理観、正義感、などの群れを維持するための価値観「エネルギー」を心の意識の主内容として身につけていきます、女性は生命維持のため!愛、教育、芸術活動、創造などの心の能力を主に成長していきます。だから無意識に常に近くに接近しているわけです。

人格の発達を導いていきます。20歳ぐたいをすぎてからその先には個性化ということを目指して生をエンジョイする方向なのですが?つまりこの意識の方向の前に本能的に埋め込まれているのが!外向型と内向型と意識の方向を別ける、意識という関心の運動を別ける一般的なタイプです。これを天才ユング博士のタイプ論の外向型・内向型と言います。ところが厄介なことに日本は時代が急速に変化したために外向型の意識の方向を良いものとしてしまいました。ユング博士は!つまり主観「主体」に同化できない世界を判断するために有効に働く判断基準などというものは絶対に持っていないのである。つまり主体とは人間であるという主体がなくなれば人間ではなくなると言っています。そして客観的な認識能力を過大評価すると、主観的要因・主体の意味そのもの・が抑圧されてしまうのである。とても私達の社会に警告をしています、つまり憲法は人間だけが参加することのできる人間論だというのです、学問だけでは憲法を作れないということをおっしゃています何千年という歴史を知り、感情という価値を知るものつまり人間でしか憲法は考えられない!デイ―ン藤岡さんがなにかの折に!家庭平和は世界平和だとおっしゃっていましたがすごいと思いました、まさにあのサッチャー氏の認識をも間違えさせた!愛ある家庭で育てられた子供たちは次世代へ尽くす人間に育つということです。文科官僚のように自分達の老後のことばかり考えて日本も地におちたものです、これが外向型に傾いてしまった国の結末のように思います、つまり人が育たない!



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